Récit de séjour à Paris - été 2000


春に慌しくパリを離れたのでやりのこしたことがいくつかあった。 4年半滞在したパリを離れることはそれほど簡単なことではない。 ついでに図書館での調べもの、足りない論文用資料の写真撮影など やらなければならないこともある。どうせなら大好きな夏のパリと自転車競技ツール・ド・フランスを満喫しよう! と、私は梅雨の日本を脱出。パリ行きの飛行機に乗り込んだ。
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le 30 juin 2000. 無事到着
仲良しのフミ子が空港まで迎えに来てくれた。 今回の滞在で居候をさせてもらうフランス人の友人キャロリーヌ(以下キャロ)邸にも無事到着。 ひとしきり話し込んで夜中になりました。 もう寝ます。詳しくは明日。とにかく今日は疲れました。
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le 1er juillet 2000. あー疲れた
昨日は定刻より早くパリに着いた。けっこう満席に近い感じで、隣は韓国人の若い カップル。私は離陸を見届けた後、食事の時間以外は寝まくって過ごした。揺れも 少なくて、それほど苦痛はなかった。予定より早く着いてしまい、荷物が多いので 迎えに来てくれることになっていたはずのフミ子を私が待つことになった。
ようやく来てくれたフミ子と再会を喜び、空港で時間をつぶしたあと、キャロとの約束の時間 19時を目指してタクシーでパリ東駅近くのキャロ邸を目指した。 彼女は建物の下で大きな笑顔とともに待っていてくれた。3人でしばらく、そして同居人のマガリが帰ってきて、 皆で一緒に軽い夕食をとる。私は久しぶりのフランス語で反応が鈍い上、 異常な睡魔が襲ってきて、元気がなかった。でも解散した後、この睡魔もおさまり、 私は結局夜中の2時まで身辺整理をしたり、シャワーをしてから眠ったのだった。 また慣れない型のシャワー。慣れるまで大変。
でも今日はなぜか、眠いはずなのに、朝の6時からかーっと目がさめてしまって、 仕方がないから起きた。そのうちマガリが起きてきて、朝食を与えてくれて、近所へ の買い物に誘ってくれたのでお供をする。さっそくガレット用のそば粉(サラザン)を お土産用に購入(欲しかったんだ、これが)。薬局では愛用の解けるタイプのアスピリンを購入。 そしてすぐにビデオデッキを3週間(今日から始まるツール・ド・フランスを録画して見るため) 貸してくれるエリコ邸のあるモンマルトルを目指す。キャロ邸の周辺と言い、ここらといい、 訪れたことはあっても良く知らない地域なので、道を探すのが大変。
家に戻って皆で軽い昼食。そして今日から数日の予定でブルターニュに向かうキャロを見送って、 それと入れ違いにジャン・フランソワ君がデッキの接続にやってきてくれた。 彼はもうすぐ日本の彼女のもとへヴァカンスに発つ上、試験で忙しい時期なので、 今回パリで会うのは最後になるんじゃないかな。また日本で会いましょう。
今夜はフミ子の誕生日会が彼女の家であったので、それに招待されていた。 久しぶりにモット・ピッケからコメルス通りのお店を冷やかしながら歩く。 懐かしいと言うには、まだ記憶が鮮明過ぎるし、でもパリを離れたたった 3ヶ月なのに少しずつまた店も変わっていたりする・・・。惚れこんでいた地域だけに感慨は深い。 まだここに住んでいる感じがする。ただいまと帰る家はもうないけど、少なくともここはまだ 私の縄張りって感じがする。今度来るときはきっとこの感覚が「懐かしい」に 変わってしまうんだろうな。こうして時は風化していくんだろうか。
フミ子ちゃんのプレゼントにかわいいピアスを選んで、水漏れ騒ぎで大工事中と言う 彼女の家に向かった。素敵なタイトなワンピースに身を包んだフミ子ちゃんが向かえて くれる。ウン、家は確かにすごい状況だけど・・・。ここも想い出の場所だけど (なんせここは私の旧家のひとつ。これが縁で彼女とも仲良くなった)、 今ではすっかり彼女のおうち。彼女のお友達がたくさん集まって、そして私は 相変わらず今日も猛烈な睡魔と闘いながら、知らない人達のわからない話に耳を傾けていたのでした。ちゃんちゃん
あー、寝ムー。とりあえずフミ子ちゃん、今日はお誕生日おめでとうだったわけで す。おやすみなさーーーい。
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le 2 juillet 2000. サッカー勝ってお祭り騒ぎ
今日は目覚めが悪く、9時まで寝てしまった。今朝はマガリもなかなか起きてこないので、朝御飯を一人で食べながら、いつも見ていた朝の映画番組を見たりしてい た。そうこうしているとカオルちゃんから電話で今夜夕食に招待してくれた。 次はベアトリス(以下ベア)から電話。なんか昨夜のような自分の居場所のない招待のあとは、 友達からの連絡がとても嬉しかった。
まずはベアと。ショートカットになったベアはなんだか 日本で会うときよりも幸せそうに見えた。やっぱりこれがフランスの効果かな。まず私の好 きなカフェ「フュムワール」へ行きお喋りを楽しんだ。そしてお隣にあるルーブルの あたりを散歩しようと向かうと・・・いつものようにルーブル美術館はすごい人人 人。あ、今日は第1日曜日。美術館が無料の日だ。って訳で学生証のないベアも私の学生証のおかげで?(国立の美術系の学生は無料で、それも並ばずに入場できる)、通常ならすごい時間 並んで入るところを私達 (学生とかルーブル友の会とか) の専用入り口から入れたのだ。 まあ、中はすごい人で空間や絵画を楽しむって感じじゃなかったけど、急に降り出した大雨の間の 散歩としては最高だよね。
で、そのあとバスに乗ってカオル邸へ。するとアルマ・マルソーの駅から 彼女の家に向かって歩いていた時に、見たの!会ったの!!!ジャンピエール・バクリ(好きな 俳優)に!ディディエのパパ。すごい感動。映画と全く一緒だった。煙草くわえて眉間にしわ寄せて 遠くから人が来るのを待っているみたいな様子。それを何度も振りかえりながら通りすぎたんだけど、 結局彼も私と同じ方に歩いてきて、止めていた車に乗ってどこかに行っちゃった。でもとにかく今日の 一番のニュースだったね。
帰ってくる途中、今やっているサッカーのヨーロッパ大会でフランスの チームの優勝が決まったのが家々の窓から聞こえてくる歌声で判った。 しかし私はサッカーよりツール(世界最大の自転車競技ツアー)じゃ。今日からビデオで 録画しているので、今鑑賞しながら書いているところ。やっぱりいいね。ツールはね。

 

 お茶の時
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le 3 juillet 2000. すごい天気
今日はベアと午後から映画の約束をしている。早起きして午前中は食料品のお土産を 買ったり、郵便局や銀行の雑用をやっつけようと思ってたのだ。が・・・残念なが らすごいたたきつけるような大雨でその上、なんだか寒気がして頭がくらくらした。 今朝はキャロもいないし、マガリも仕事に出かけたので、静かな一人の時。朝食を とって薬をたくさん飲んで、家に残って、空の機嫌を伺っていたのだ。でもいっこうに 良くなる気配はないし、相変わらず気分もあまり良くなかったので、ベアとの約束も キャンセルしたかったが・・・時間は迫ってくるし、断るにしても彼女の今の電話番号を知らないので、仕方なく行くことにした。するとどうだろう。雨はやみ、傘をさす必要はなかった。映画は昨日道で出会ったバクリのもの。帰国前に見た大好きなコメディ だったけど、私は飲んだ薬のせいか猛烈に眠くて、ひたすら睡魔と闘っていた。そして 映画が終わって外に出る頃にはなんと晴れあがっていたのだ。太陽が見えた途端、気 分も体調もなんとなくよくなってきた。映画館はサンラザール駅の近く、パスキエ通 りだったので、私はベアを遠くないプランタンデパートの前にある大好きなパン屋兼 サロン・ド・テ「ポール」に案内しておしゃべりを楽しんだ。今夜はカオルからクリスティーズのガーデンパーティ(卒業式をかねている)にさそってもらっていたけど、それはキャンセルして、家路につく。家の近所のモノプリ(スーパー)で紅茶をいっぱい買った。 これは日本へ連れてかえるお土産。
家に帰ると今夜から2泊するというキャロの友達のご夫婦が来ていた。彼らはキャロ の部屋に泊まるらしい。今日は本当にバタンキューだ。 ってことで本当は翌朝(4日)、書いています。
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le 4 juillet 2000. 懐かしい日常
私にしては信じられないくらい早起きの日々。でもせっかく早起きしても大雨ばかりで家を出そびれてしまう。昨日のツールのビデオを見たり、何人かの人と電話連絡 を取って、シャワーして、午前中は終わってしまった。
今週は社交と遊びの週に決めたので、午後1番にオデオンにある名画座系映画館に行ってきた。 パトリス・ルコントの最新作。今日はおおいに当てが外れて退屈な映画だった。 その後、映画館周辺のショップを物色したが欲しいものはない。その後、フミ子ちゃんちに お菓子を持っていって一緒にお茶の時間にした。それにしても工事のせいで玄関前に台所の部品が すべて放り出されている。台所と廊下、風呂場は床がめくられていて、セメントが剥き出し。 なんとも痛々しい。中庭には工事の為に出たごみが山積み。なぜか便器も、作ったすのこも ぼろぼろになって捨てられている。変わらないのは窓から見える風景かな。
今日、ここにわざわざ来たのは丁度、シャルル・ミッシェルのモノプリに行きた かったから。日本に持って帰りたい食品たちを買いたいのだが、ここは何より良くわかっているところだし、大きいから。でも結局、中は改装されていて売り場が変わって、わかり にくい。全部欲しいものは揃わなかったけど、まあいい。スーパーの中は変わってし まっていたが、ここは変わらない。もちろんコメルス通りも少しばかり商店が変わってしまっていたけど、ここに来るとやっぱりどこよりも落ち着くな・・・。
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le 5 juillet 2000. カツコ邸
今日も昨日に引き続き肌寒い。昨日なんて最高気温も20度がやっとってところ だった。冷えるわ、まったく。でも今日は午前中からなんとか天気は持っていたので、 なんとか近所を回って、雑用をやっつけた。郵便局では、なんと45分くらい待つはめに・・・やっぱりフランスですな・・・。予定よりずいぶん時間を取られた。あわてて昼食を食べて、約束のあるカツコさんのお宅に向かった。クリスティーズ(美術史の専門学校)に行っていた時のクラスメート。フランス貴族と結婚した在仏20年のマダムである。 彼女はトロカデロの素敵なアパルトマンに住んでいる。いつものようにお得意の手作りお菓子と、私の大好きなマカロンで向かえてくれた。ちょっと住んでいる世界が違うので、いつもカツコさんは私の話を楽しそうに聞いてくれる。今日も話ははずみ、えんえんと話し込み、その上、夕食に日本食 レストランでご馳走までして頂いた。彼女はもうすぐ夏のヴァカンスに出てしまうので、今回はもう会えないでしょうが、また来年!お目にかかれるのを楽しみにしています。明日の朝早くには日色氏が到着する。もうしばらく社交の日々・・・。
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le 6 juillet 2000. ピカピカのオペラ座
早いものでもう1週間がたとうとしている。5分の1の予定が過ぎたわけだ。毎日 人との約束の合間に買っておきたいもの、しておかなければならないことを少しずつ しているが、メインイベントの図書館、建築の写真撮影、大学の再登録は来週から始め る。今日おおよその予定表が完成した。急に予定がなくなったので、ゆっくり考える時間が持てたのだ。なぜかと言うと、今朝、学会に参加するためパリに到着した日色氏と 朝食をご一緒する約束は、結局私の寝坊でキャンセル。私は到着後初めての大快晴の今日、 一人で街をうろついた。慣れないつっかけ(ミュールのことです)で歩きすぎて、 始めて親指の裏に水ぶくれが出来てしまった。ちょっと痛い。
今日はそんな訳でオペラ地区に行ったので、この間修復工事が終わったばかりのオ ペラ座を見てきました。火事の後みたいに真っ黒だったのが、真っ白!金箔も新しく 張られて、きれいね。

 

 修復を終えたオペラ座
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le 7 juillet 2000. ようやく
今日は午後からようやく日色氏に会うことが出来た。今日は何やら学会での発表が あったらしく、その後近所のカフェで会った。少し話をしながら今後の予定を決め ようとするのだが、なんでも今日の天気予報では日色氏がパリを離れる来週の月曜日まで ずーっと雨。まったく・・・何もしたくなくなる。それでも遠くから来ている日色氏の為に、 いや今回は私も遠くから来たのだから、カフェに留まっているわけには行かないか・・・。 特にもうパリで見たいところはないという日色氏。週末は郊外に出ることにした。 私も何とか気持ちを奮い立たせて、今日はまずアルスナル建築博物館に、そして私も初めてのマレ地区にあるヨーロッパ写真美術館を訪れて、そして新しくなった ポンピドゥー・センターを外見だけだが見学した。今日は雨だけなく気温が低くて持っていた ウインドブレーカーだけでは震えが止まらなかった。こんな天気ばかり続いたら、 靴(つっかけにサンダルしかない)もないし、着る物もなくて困るなあ・・・ まったく(冬のコートならいっぱいキャロ邸に置いてあるけど)。
今夜は日色氏を久しぶりのパッサージュ・ブラディ(インド料理レストランの並ぶキャロ邸の すぐ近くの商店街)に案内した。初めての店を偶然に選んだが、なかなかおいしかった。
明日はヴェルサイユにお供します。 今日もバテバテ。ツールのビデオを見ながらねまーす。おやすみなさい。
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le 8 juillet 2000. ヴェルサイユへ
今日はちょっとゆっくり眠った。と、言っても8時半には起きたのですが・・・。 昨日、見残したツールのビデオを見ながら目を覚ます。そして日本に送る履歴書を 書き終えた。
天気予報は外れて午前中はとてもいい天気だった。でもお昼過ぎ、日色さんか ら電話があって落ち合った頃からまたまた雲行きは怪しくなってきた。午前中か ら精力的に見学して回っていた日色さんはまずおなかが空いたと言うので、マクドナ ルドで軽食タイム。私は家でスパを食べたばかりだったので、ポテトだけ付き合って食 べた。そしてその後小雨が降る中ヴェルサイユに向かった。ここには何度も来たことがあるけど 今までこんなに混んでいるのは見たことがないっていうくらい混んでいる。日色さんの入場券を買い求める為に 長い間待ったが、嬉しかったのは、私は学生証のおかげでここも無料で入れたこと(ここは知らなかった)。けっこう高いんだもの・・・ここ。学生 証がある間にまた是非ゆっくり来たいと思った。混んでいるとはいえ、日色さんはがんがん とばしていく。そして広大な庭園の見学をしたいと言うので、迷ったが私はカフェで待つことにした。 だって雨が強くなってきたので、とても歩く気にはなれなかったのだ。また天気が良いときに是非見 学しにくるぞ!プチ・トリアノンはまだ見ていないし。5時半を過ぎた頃、日色さんは よれよれになって戻ってきた。気温もだいぶ下がってきて薄着の日色さんはとても寒そうだった。
とりあえずパリに帰って暖かいお茶でもってことなので、一気に サンミッシェルまでRERで戻って、私のお気にのラシーヌ・カフェに案内した。そ して夕食はその近くの定番中華ミラマへ。久しぶりに大好きな海老のワンタンスープ を食べられた。レストランを出てもまだまだ明るいので、散歩しながらパリの散策。 夕焼けが綺麗でした。
明日、日色さんは午前中のうちにフォンテーヌブローの近くにある ヴォ・ル・ヴィコント城を訪れるそうな。私も興味はあるけど、もう学校から見学に行ったことがあるし、 1日付き合うと体力がもたないので(^_^;)、午後のシャルトル(これも郊外だけど私も初めての街) だけ付き合うことにした。明日も天気予報は最悪だけど、外れてくれることに期待。
今夜はキャロとマガリは徹夜のコンサートへ行って朝方まで帰ってこないので、一人の時間を 楽しんでいるところです。でも眠いからな・・・もう寝ます。おやすみなさい。

 

 今日の夕焼け
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le 9 juillet 2000. 日色氏と最後の晩餐
まったくひどいもの。ずーっと雨が降っている気がする。日色氏も滞在中ずっと雨 で気の毒。私は今日も精力的に朝から見学を続ける日色氏を横目に(?)午前中は家 でゆっくりと過ごした。彼は午前中、行っていた通りにRERとタクシーを乗り継いでヴォ・ル・ヴィコント城にいったらしい。この雨の中、目的の庭園をきちんと見学 してきたらしい。すごいなあ。私は午後、彼からの電話を受けて家を出た。もちろん 雨は降り続いている。まずはきちんとお昼を食べて、午後の計画を練った。予定はステ ンドグラスで有名なシャルトルだったけど、この天気だし・・・ってことで、パリ市 内に残って美術館を回った。まずはサン・ミッシャルにあるクリュニー中世美術博物 館。ここ、私は初めてだったがなかなかパリで中世のものを見るってのは新鮮な気 分だった。程よい小規模な展示で全体的に感じがいい。ここも学生証で無料で入れ た。そして次はそこから遠くないサン・シュルピス広場(今日は陶器市が出ていた)向か いにある6区役所でこれまた無料の(これは皆に無料)展示会「1900万博」を見 に行った。今日は最終日なので、これは見逃せなかった。無料だからどの程度の物かなと思っていたが、これがなかなかのコレクション展示で楽しめた。当時のポスターや 万博を記念して発売されたもの達・・・。その後はカフェ・フロールでお茶をして、 ルーブルのあたりを散歩して、夕食に向かった。
今日は家の近所に見つけていた摩訶不思議な感じのレストラン。中は一見、1900年風、でも今まで見てきた感じだ と夜遅くには今風の若者で埋め尽くされる。一応手頃な値段のフレンチレストラン で、日色氏との最後の晩餐はフランス料理で締めくくった。中に入ってみると今日は 私達が最初の客。シートの柄がアニマル系だったり、ますます???でもお味はまあまあいける。 私は久しぶりの鴨を頂きました。彼は明日の朝5時にホテルを出て次のコペンハーゲンに 向かうそうです。お気をつけて!
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le 10 juillet 2000. ようやく
日色氏がパリを去った後、ようやく晴れ間が出てきた。といってもやっぱり不安定だ し、肌寒いし、いいことはないが・・・いっそ、キャロ邸に預かってもらっていた秋冬のコートを着てしまおうっと。
今日はベアトリスがここに来た。私のレポートの添削を手伝ってくれたのだ。 一緒に昼食を食べてお茶の時間にはタルトタタンを買ってきてくれて、お喋りもいっぱいした。 ツールは今日ピレネに突入。今年初めての山の日で見ごたえのある日だったのだけど、 ベアが来ていたし、集中して見るわけには行かなかったが、私のジャッキーが前半に活躍していた。 私が録画しているのは最後ゴール前とレジュメのヴェロクラブって番組だけだから、 やはり山の日は全部見ないと何があるかわからないし・・・時間がないのがとても残念。
夜は有名なコメディ・フランセーズ(フランスで一番伝統のある劇団)にキャロらと行ってきた。 今回、キャロが選んでくれたのは、私も良く映画で見ているブリュノ・ピュツル君と いう若い俳優(彼はここの劇団員)が主役のモリエールの「ジョルジュ・ドンダン」。 それほど長くなく難しくなく楽しめた。劇場はルーブルの近くにあって、とても小ぶりのもの。中の装飾は素晴らしくデジカメを持っていかなかったのが悔やまれた。 これが今日のイベント。
明日は私が夕食を作ります。そしてベアも招待してキャロとマガリと4人で夕食会です。
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le 11 juillet 2000. 夕食会
今日は午前中家を出そびれちゃって、午後からぼちぼち今夜の夕食会の買い物に出 かけた。大した物を作るつもりはないけど4人分だから量は必要ね。日本から持って きたハヤシライスのルウが今夜活躍する。牛肉の薄切りがスーパーでは手に入らないし、 相変わらず狂牛病の発病をニュースで言っているので、ブタのフィレを買って 出来るだけ薄切りにしてみる。そして彩りにニンジンも小さく切り入れた。それから もう一つは鳥のささみをこんがり焼いて、色とりどりの野菜を入れ、クリームとチーズをかけ、 オーブンで焼いてみた。それからサラダ菜に私の特製ニンニクドレッシングをかけ て、これで3品。白い御飯も炊いて、そして食後のチーズと、デザートはベアが 持ってきてくれた。チーズは超食べごろのものが手に入ったのでとても満足だった。 テーブルのセッティングもすんで、用意もおおよそすんだところで、ベアから電話。 早く来ておしゃべりしたいと言う。すぐにやってきた彼女をともなっておいしいパンを 買いに出かけた。このあたりの様子も最近はだいぶわかってきたので、買い物が楽 くなってきた。物価が安いので、つい果物とか買いすぎてしまう。
皆次々に帰ってきて、8時ごろ夕食会を始める。料理もなかなか受けたみたいで良かったです。 ベアのお喋りも絶好調でみんな打ち解けてお喋りに花が咲いたのであった。 慣れ親しんだ食材を買って、たまには台所にたつのも楽しいから、帰るまでにまたやろうかな。 夕食会!!!
明日からマガリは田舎に数日帰省。ご両親を伴って帰ってくるそうな。ベアは面接試験で ヴァロンシエンヌへ。

 

 キャロ邸近くのフォーブール・サンドニ通り
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le 12 juillet 2000. ニュースなし
今日は雨が降らなかったから到着後天気が一番安定した日だったかもしれない。 今日はツールもお休みの日で、私も大して予定がない。朝食をゆっくりと取り、洗濯を して、午後から街に出かけて行った。カフェでくつろいで, 見たい映画をピックアップしてみたが、夕飯をキャロと家で食べる約束なので、 どうしても2本は見られない。ウインドーを眺めながら映画を1本見て家に帰った。 キャロと食べる夕食はもちろん昨夜の残り物だけど・・・ 食べ終えてから今回初めて二人でゆっくり話が出来たので、たまにはこんなのもいいかな。 後はテレビを見て今日は終わり!
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le 13 juillet 2000. もう、いい加減にして〜
今日も雨である。全くいい加減にして欲しい。持ってきた夏服もバーゲンで買った服も 何も着られない。着ているのは毎日安物のウインドブレーカーとちょっと厚めの ズボンばかり。靴もサンダルなんて寒くてはけない。置いていたナイキのシューズばかり。なんかむかつく。出かけるときエレベーターに乗って、そこにある鏡に全身を 写した時、本当に出かけるのがいやになる。それにどうして女が二人も住んでいるの に、この家には姿見がないのだろう・・・。初めてエレベーターの中で自分の全身を見る からショックも大きいのだと思う。
と、余談はさておき。今日も雨に負けて午後まで出そびれてしまった。 ツールは今日も山岳ステージで早くから放送をしているので、それを見たり・・・。 しかし南は見事に晴れているな。南に行きたいなあ。今日は丁度私の大好きな ヴォクリューズ県を通過。見事に色づいたラヴェンダー畑が美しかった。 そして午後からフミ子ちゃんちと奈津江ちゃんちを訪問することになっていたので、 2時になってようやく家を出た。フミ子ちゃんちの工事は着々と進んでいて、 廊下、キッチン、トイレはコンクリートが新しくなって、そしてその上から高そうなタイルが 張られていた。私もこんなのがよかった・・・。だいたい最初からこうしておけば良かったのだ。 そしたら誰も困らなかったはず。大家め・・・。
奈津江ちゃん(料理のとても優秀な学生さん)ちではお土産にフォンドン・チョコラ(チョコレートケーキ) をもらった。今夜はキャロとミリヤム(今度プラハに一緒に行く人)邸に招待されているので、 いいお土産が出来た!!!このケーキ本当においしくてひと切れしか私の口に入らなかったのが ちょっと悲しかったが、ミリヤム邸はとても綺麗なアパートでよだれものであった。 彼女もキャロ同様、大蔵省に勤務する才女。おもてなしも心地よく、話がはずんで帰路に着いたのは 夜中の1時ごろだった。今夜は革命記念日の前夜祭。あちらこちらから爆竹の音が聞こえる。
あいにくの天気だけど、明日から週末をキャロの家族と一緒に過ごすため、家族の田舎の別荘に 行きます。16日(日)の夜に戻ります。
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le 14 juillet 2000. 革命記念日
今朝のシャンゼリゼでの軍隊の行進、飛行機やヘリコプターが飛ぶのが、部屋から小さく見えました。 それじゃ、今からキャロのご両親の田舎へ出発します。いってきます。
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le 16 juillet 2000. 楽しい週末
金曜日から今日まで、キャロのご両親の田舎の家に行っていました。ロワレ県の シュヴィヨンという小さな村。パリから車で丁度2時間。あいにく天気は悪かったので すが、ロベールパパとポーラママの暖かなもてなしを受けて、また胃がかんかんに広がってしまった・・・食べすぎってこと。
今回はキャロのお姉さんの家族も来ていてとてもにぎやかだった。家族間の話にはついていけないが、ロベールとローラのそばにいるのはとても気分が和らぐ。彼らは本当に見かえりを求めない気持ちを振り く人達。きっと誰にでもこんな風に接するのだろう。特にパパはいつも配慮の行き届 いた人で、彼がフランス人なんてとても信じられない!でも日本人でもなかなかいな いよ、こんな良い人は。お姉さんの末っ子、私の姪と同じ年のセリーヌはとってもかわいいが、言うことを聞かないとビシバシとことん叱られる。叱るのはもっぱらポーラ。 普段の優しい声と顔が豹変するのを見ていると、こちらまで叱られている気分になる。 普段はみんなして子供にキスばっかしているが、言うこと聞かないと犬以下の扱い。 私の姪も、いや日本の子供たちも、これくらいびしびしやってもいいのではないのかな・・・。 フランスでは子供が大人の生活を乱すなんてもってのほかなのだ。
着いた日は夕方からシュヴィヨンの教会でのロシア音楽のコンサートに連れて行って頂いた。 バラライカという楽器とピアノ、アルトヴァイオリン、そしてオーボエの演奏。 バラライカを弾くオジさんが自ら司会もしていてユーモアたっぷりで演奏もとても良かった。
そして土曜日はまずは恒例、陶芸家のジョルジュとマリーのアトリエへ。2年前、私は彼らの陶器を フランスで初めて買ったのだ(その後やみつきになって旅先で陶器を買い求めるようになった)。 マリーは陶器で絵画を作る極めて貴重なおばあさんアーティスト。 ジョルジュはそれを手伝いながら、オブジェを作っている。 今回も色見本のタイルを並べた鍋敷みたいなものを眺めていたら、あっという間ににポーラが 3枚お買い上げ。私が見ていたのは私にプレゼントだって。まったく恐縮してしまう。 あとでキャロにこっそり値段を聞いてびっくり。色見本のくせに200Fもするらしい。 でもポーラとロベールからのプレゼントだから大切にします。彼らから頂いたジョルジュの作品は これで4つになった。
午後は車を走らせて隣のヨンヌ県にあるジョワニイという中世の村へ。 そしてとてもおいしかったのでリンゴパイの作り方を教わった。なるほど、これは簡単。 私でも出来そうなので(出来合いの生地を使うから)是非今度作ってみたい。 夜は恒例の?マージャン。私が参加させられたのはいうまでもありませぬ。 しかしフランス人の家族が夜中にマージャンをやるってやっぱりなんか変だよね。 今日は午前中、ポーラとロベールに車でドライブに連れて行ってもらった。 午後は慌ただしい昼食のあと、キャロと二人、パリへの帰路に着いた。
お別れの挨拶の時、ロベールは「ミカ、来てくれてありがとう」って言ってくれた。 なんだかとても嬉しかった。こんな言い方ができる人ってなかなかいないような気がする。 お礼をいいたいのは私のほうです。本当にいつもありがとう。2泊3日シュヴィヨンの旅。 行く前は家族がみーんな集まるところに行くのはちょっと気が引けたが、今は行って良かったと 思っている。優しいおもてなしをいつもありがとう。 来年、また会えるかな。

 

 シュヴィヨンの家
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le 17-19 juillet 2000. トゥールへの旅
2泊3日、特に目的のない旅にした。天気予報がようやく晴れを告げているし、美術館へ行ったり、 街をゆっくり散策したり、広場に面した気持ちの良いカフェでくつろいだり・・・。 今回はホテルも決めてなかったので、駅を出て観光案内所に立ち寄って街の地図をもらい、 道を歩いて行くうちに、とても良い感じに朽ちた外観のホテルを発見。 外に出てる金額も手頃だし、中をのぞいてみるとなかなか素敵なステンドグラスが はまっていたり、趣がありそう。昔はきっと名士の邸宅だったんだろう。 向かえてくれたご主人はとても親切そうな人で私は3階(最上階)の17号室を ゲットした(170F)。素敵な西洋式庭園のある、街でもっとも大きな美術館、 そしてその隣には大聖堂。そのほぼ正面にあるこのホテルはミュゼ(美術館)と言って アーティストの滞在が多いそうな。
トゥールはロワール地方の県庁所在地だけれど、パリに比べたら本当に小さい。 この大聖堂のある地域から10分ほど歩くと、街を縦に走る目抜き大通に出る。ここに はどこにでもあるようなショップが並んでいる。そしてその大通りを渡ってさらに 進むと旧市街。見所はこれくらいだろうか。
最終日はトゥールを出てパリに 戻る途中にあるオルレアンで下車。ここはジャンヌ・ダルクと縁のある街で、 彼女が滞在したといわれいる家が復元されて公開されていた。そしてここでも大聖堂はやっぱり見所。 久しぶりに太陽にあたって良く歩きました。
適度な疲労感が眠気を誘いますので、 もう寝るとします。お休みなさーい。

 

 トゥールの大聖堂
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le 20 juillet 2000. ニュースなし
今日も気持ち良く晴れ渡った。これでなくちゃ、夏のパリはね。朝から2回洗濯をして (干すのは家の中だからもちろん天気は関係ないが・・・)、週末の旅行の着替えを用意した。 このプラハへの旅行は今回のメインイベントではないかな。
ちょっと遅いお昼をフミ子ちゃんと取った。彼女の薦めで15区の韓国料理屋へ。 ここは今までのパリのアジア料理屋のダサい(死語ですか?)イメージを覆すようにセンスがいい。 なんとなくフランスとアジアの融合を感じさせる。食器やテーブルデコレーションが マリ・クレールって感じだった。でも肝心のお味は私にはイマイチ。
そのあとパレ・デ・コングレという展示会場へ。 フレデリックがアルバイトで参加しているから見においで、色々特産品も食べられるよ・・・ ってことだったので、行ってみたが???現在やっているのは外国人にフランス語を教えている 語学教師のためのサロン(見本市)。ちょっと話しがちがうぞ・・・と会場をうろうろしていると・・・ 懐かしい「フランス・ラング」の看板が目に付いた。「私、以前ここの学生だったんです」などと 話しかけてしまった。ここに来ているのは営業チームだけで私の知っているのは校長先生だけだったけど、 この人は私の大好きなフランソワーズ先生のお兄さん。「フランソワーズはお元気ですか?」と 話しかけると、嬉しそうに返事をしてくれた。滞在中に彼女の顔、見に行ってこようかな・・・ 最近の学校の様子を写真で見せてもらったり、エッフェル塔のキーホルダーのお土産をもらって 帰路についた。結局フレデリックは帰った後だったらしく会えなかったけど、なんだか懐かしい気分に なった。4年前のことだけどもう10年以上前のことのように感じる。今、こうしてパリにいても、 私がパリで生活していた時間は遠い昔のように感じるから不思議だ。
そのあとずーっと歩いてシャンゼリゼまで来た。太陽の下の散歩は気持ちいい疲労感を与えてくれた。 今夜も良く眠れそう。おやすみ
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le 22-24 juillet 2000. プラハへの旅
プラハへ行ってきました。プラハは私が想像していたような暗い、怖い、貧しい街じゃなくて、 本当に感動的な豊な清潔で安全な街でした。人々も本当に親切で、これは本当に嬉しい驚きだった。 今回、キャロに招待してもらわなかったらおそらく一生、自分から訪れることはなかっただろうな・・・と 思うので、本当に感謝感激。(マイレージのような)お買い物でたまるポイントがだいぶたまっていたそうで、その上 今回はキャンペーン中で、半分のポイントでプラハ行きのチケットが手に入ったとのこと。 すなわち本来一人分のパリ-プラハ往復チケットがキャンペーン中で2人分手に入ったというわけだ。 ただキャロはすごくダイナミックな人なので、一緒に旅をするのはなかなかハードです。 炎天下のなかもくもくと歩きつづけて夕飯なしで夜はオペラに、コンサート。 そのあとようやく夕食だし。ホテルに帰るのは午前1時。それから私はシャワーしないと、 朝はキャロが使うし、朝はキャロより早く起きてないと洗面所が使えないし・・・と、 何かと体力的に大変なのです。最終日には一緒に行ったミリヤムもちょっと疲れた表情を 見せていました。
プラハは驚くほど物価が安い。安いと言ってもそれは外国人にとって、と言うことだけど、 すべてパリの半額と言っても良いくらい。でもオペラやコンサートは末席でもけっこう良い値段で これは案外パリの方が安い。1日目の夜のオペラはモーツアルトのドン・ジョバンニ。なんと私の初めての オペラでしたが、あまり芝居自体に感動はあまりなく「ふーん、こんなものか・・・」って感じで、 舞台の装置にばかり気を取られていた。でも2日目の夜のコンサートは会場もアール・ヌーヴォーの 傑作だし、その上歌も素晴らしかった。こちらもモーツアルトのレクイレム。テノールとソプラノ声に しびれてしまいました。
プラハの料理はドイツと同様に評判がよくないと聞いていたけど、実際食べてみるとなかなか 普通でおいしい。気取らない料理でぜんぜんOK。それに値段の事を考えると断然OK。 私が旅に出て一番好きなこと、カフェ探訪。ここはなんとも素敵なカフェが多い。 とにかく街中にカフェがあふれている。パリのそれとも違うし、私の好みのスタイルのカフェが 断然多い。値段も安いから私なら全部試したいところだが・・・この希望は(ぎっしりと詰まった 予定のために)もちろんかなわなかった。それでもいくつかアール・ヌーヴォーのカフェは 訪れることが出来た。超高級ホテルのカフェでもお茶が50kc(10F)しないのだ。 街の雰囲気はとても特殊で影響をうけあったウィーンとも少し違う。私の一番新鮮な記憶として 残っているバルセロナの特殊性に似ている。建築のスタイルはバロックが圧倒的だけど、 そこにアール・ヌーヴォーが散りばめられている。そしてところどころに共産党時代の重い建築や 30年代の機能主義。とにかくどの建物を見ても驚きがあるのはバルセロナにやっぱり似ている。 そしてやっぱりここは音楽の街。多くの音楽家が憧れるだけあって、街中に音楽があふれている。 どこのホールでも教会でも必ず何か催している。本当に2日目の夜のコンサートは感動的だった。 ってことでプラハに行く機会を与えてもらって本当に良かった。私はプラハが大好きになりました。 今度はカフェめぐりをするために、ぜったいにいつかまた必ず行こうと心に決めました。
明日から2週間、もう少しパリを満喫して帰ります。

 

 旧市街市場のにぎわい
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le 26 juillet 2000. 天気不調
プラハでの良い天気も嘘のようにパリはまた涼しく雨降りです。ここに着いてから 夜3時までには寝て朝も目覚ましなしに9時までには必ず起きられるようになりまし た。でもこれって旅行だから時間に限りがあるからっていう緊張感も有るだろうし、 この家が朝はすごい騒音で寝ていらないってのもあるんでしょう。窓を閉めていても かなりうるさいんです。窓をあけていると何が何だかわからないくらいにうるさいぞ!
昨日は半日旅の疲れでボーっとしていたけど、午後からベアが菓子を持ってやって来て、 そのあと一緒に街に出た。在庫荷物の処分のため、持って帰れないCDを売リに行き、 とりあえず今日は半分売れてけっこう良いお小遣いになった。お気に入りのカフェでお茶して、 軽く海老の水餃子を食べて夕飯を済ませた。少し散歩して・・・
帰ってみると突然の来客。マガリの仕事仲間が5人。キャロも交えてデザートパーティ。 私も借りてきた猫みたいに参加。疲れていたけど、楽しいひと時でした。
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le 29 juillet 2000. 眠いけど・・・
今日もいっぱい人と会って疲れたあ。朝はマガリと台所で雑談しながら朝食を食べ、 そのあとフミ子が研修に旅立つのでお見送りに行き、リヨン駅で昼食を一緒に食べ 最後のひと時おしゃべりに興じる。次に会えるのはお正月、彼女が日本に帰省したときかな。 それから一人大好きなル・トラン・ブルーでカフェを頂き空間を味わう。クロネコヤマトの船便 を申し込みに行き、一旦家に戻った。ああ、そろそろ帰国の準備かあ・・・。 そしてフナックでプラハの写真を引き取り、写真の展覧会に行きたかったが、 時間がそれほどないことに気づいて、近くにあったKOOKAIのストックで絹の光るブルーの パンタロンが60Fだったので、感動してご購入。
それから約束していたので、カオルが研修をしているギャラリーに顔を出し、当分会えない「さようなら」を 言った。彼女は数日後にパリを離れ、大学時代を過ごしたモントリオールにしばらく戻った後、 新年からはロンドンで新しい研修に入る。なんともインターナショナルな人なのである。
夜の8時には招待されていたピエール・ミッシェルのおうち(アレジアにある)に集合。 私はバスの大渋滞に巻き込まれで大遅刻。オードブルがちょっと焦げ気味だったのは 私のせいだろうか・・・さっきキャロと二人でミッシェルの車で送り届けてもらった。 明日もエリコにビデオデッキを返しに行かないと行けないし、今日の夜のメンバーが明日はここ (キャロ邸)に集まるらしいので、掃除を手伝わないといけないし、船便の荷物もつめないとだし、 夕方はヨウコさんと会うことになっているし・・・帰国までなかなかハードそうじゃ。
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le 30 juillet 2000. パン食う人々
今日はなんとなくいい天気になった。今日はキャロの同級仲良しの会が昨日からの メンバーでここで行なわれた。日曜のお昼に遅い朝食を取るブランチ。私の寝室が昼 食会場に早変わり???信じられないくらいに大量に購入されたパン、山盛りの果 物、マガリの特製キッシュ。私はみんなの到着を待たずに先約であったヴィデオデッキを返却しに 友人宅に出かけ、引き続き別の友人と会い、夕方遅くに疲れて戻ってきたら、なんとまだブランチは 続いていた。それでもまだ恐ろしいほど大量に残っているパンが今日の夕食のメイン??? 3人で食卓を囲み、パンの消費に励みました。
明日は建築の撮影に行く予定。
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le 31 juillet 2000. 今日は夏日
今日はお昼から頑張って論文用資料の写真撮影に出かけた。少しだけ新しい発見があったけど、 期待してたものがなかったり・・・。まあ珍しく暑かったので歩き回るのは厳しかったな。 夕方にはベアと落ち合って1年くらい前に公開されて、その時から気になっていた「est-ouest」と言う 映画をようやく見に行ってきた。スターリン時代のソビエトとフランス人カップルの悲劇的なお話。 ありふれたような話しだけど、良く出来ていたと思う。ボネールを始めとして役者達が良かった。帰るまでに出来たらもう 1度見ておきたい。
夜帰ってきたらキャロが淋しそうに一人で御飯を食べていたから、今日は張りきって いっぱいお話をしてあげた。私の失敗談とか、あ、昨日もキャロに見送られて家を出るとき スリッパのまま出てしまいバカ受けされたが・・・、トイレの話とか犬の糞の話とか、洗濯機の話とか、 公務員に対する意識・・・など日仏の感性の違いについて・・・。今日は受けたらしく思いっきり 楽しそうに笑っている彼女を見ていると、私も嬉しくなった。彼女は本当に一人が好きじゃないんだな、 きっと。淋しがり屋さんなんだ・・・と勝手に思う、今日この頃。
明日はベアと英語のレポートを仕上げる予定。早く終わったらまた映画を見に行くぞ!
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le 2 août 2000. 社交
日本は相変わらず暑そう。いやだなあ、帰るの。フランスは明日からまた寒そうです。 だいたい最高気温が20度くらいだ。
今日は久しぶりな色々な人と話しました。クリスティーズ時代の知り合いマルク君が ずっと前に連絡をしてきてくれたので、今度土曜日にあるキャロ邸でのパーティにお誘いしようと電話をして久しぶりに話をした。 それほど交流があったわけではないけど、 背が高くてでっかいイタリア系の彼。彼も建築が好きで、それが私たちの接点。 建築のいい講演会などがあるといつも声をかけてくれた。いつでも好きな時に(私の大好きな)南仏にある両親の家(かなり大きな家らしい)に泊まってね・・・って毎回言ってくれるので、いつか本当に行ってみたいなあ。今は 競売士の国家試験に向けて勉強中とか。彼女のジュリーと一緒においで、と言うと 「喜んで・・・」と来てくれることになった。私はあとベアを呼ぶことにしている。 マイコさん(加藤画伯の娘)も来るみたいだし、楽しみだ。そして午後から、1年振りにサイフォン (フランスで生まれ育ったラオス人で日本語を勉強してる)のおうちを訪ね、その後これまた ひっさしぶりのシェナン(パリ滞在の最初の頃からの韓国人の友達)と会って、 今日はアジアティックな社交の1日になった。シェナンはまだこれからもフランスで勉強を続けたいみたいだったけど、 そろそろ家の人は結婚を・・・と言い出したので、どうなるかな・・・って事だった。 でもパリでもう6年も生活している彼女。もう韓国には戻れないんじゃないだろうか・・・
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le 5 août 2000. パーティの前
昨夜はマガリとキャロをチュイルリー近くの「野田岩」さん(うなぎ専門店)にご招待した。5週間も無料で滞在させてもらってありがたかったので、これは私からのお礼の会。どうせなら日本食でも珍しいものをご馳走しようと思った。 キャロは半分しか食べなかったけど(いまいちだったんだろか?)、 マガリは肝吸いのキモ以外「おいしい」とみんな食べてくれた。 マガリは明日からヴァカンスに出てしまうので、3人での最後の晩餐でもあった。 と、いうわけで今日は朝早くマガリが旅立ち「また来年ね」と心をこめて1年分のビズ。 最初はとっつきにくい人かなって思ったけど、本当はとても優しい人だった。 5週間どうもありがとう。
その後は今夜のパーティの準備。キャロの指導のもと?朝から朝市へ買い物、掃除と・・・かりだされて、 今、ようやく開放されたところ。 彼女は一人でケーキを買いに出かけた。私は少しサラダの準備とカレーを作ることにしたので、 残ったわけなのだ。お茶で一服したら、作業に取りかかります。くわしくは明日。
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le 6 août 2000. 誕生日会
昨日5日はキャロの誕生日。キャロの提案でパーティを 行うことになった。昨日は午後から準備開始。キャロの友人、アレックス、コリーヌ、 私も知ってるピエール・ミッシェル、ジェラルディン、マイコ(日本国籍だけど生まれも育ちも パリ〜のパリジェンヌです)、フローランス、そして私の友達、ベア、マルク、そしてその彼女 ジュリー、そして私達2人、合計11人のパーティ。キャロが選んできたお惣菜の数々と、 私のサラダとインドカレー、そしてマイコ持参のブロッコリータルトに、 その他たくさんの果物、お土産・・・とテーブルの上はいっぱいになった。あ、もちろんワインもね(ピエール・ミッシェルはワインにうるさい)。 今日はキャロも一生懸命メロンを切っていた・・・(ばらしちゃうと彼女、料理ぜんぜん作らない人です・・・)。
8時頃から人が集まり始めて会は始まった。もちろん私達2人がホステスなので忙しかったが、みな会話が弾んで楽しそうだった。久しぶりにマルクとも会えて嬉しかったし、 彼女ジュリーも(博士課程でインド芸術に関する論文を準備中)もショートカットのよく似合う、 本当にチャーミングな人で知り合えて良かった。思いがけずフローランスとマイコさんからプレゼントをもらってビックリ。昨日も旅立つマガリからも面白い ろうそく立てのプレゼントをもらったし、帰る直前、荷物が急に増えた。まあこれは嬉しい悲鳴。 夜中の1時ごろにはみんな帰ったが、その後もキャロと私は二人、残った皿の山を横目に4時半頃まで話しこんでしまったのであった。
そして今日はお昼頃、ベアの電話で二人ともたたき起こされた。ボーっと二人で朝食を食べた後、 大皿洗いと大掃除。結局すべてが終わったのは、さっき、夕方の5時くらいであった。 天気はまずまずだけど、もう出かける元気がないので、今日はもう家にいることにする。 そろそろ荷造りでも始めよう。そして明日メいっぱい活動する為に鋭気を養いたいところだけど・・・。ああ、疲れた。
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le 7 août 2000. ER
実は4日のうなぎの会からの少し体調はよくなかった。翌朝、5日の朝には両足にひどい湿疹が出始めた。 原因はよくわからなかったが、手持ちの抗生物質にうなぎがよくなかったのか??? 昨日も家にいたが、範囲はますます広くなり症状もひどくなる一方だった。 夕べは痒みがひどくよくねむれなかった。熱も少しだが出てきたので、 帰国に備えて病院に行くことにした。本当はベアと約束があった。約束をキャンセルしようと 電話をしたら、一緒に行ってあげる・・・と病院まで付き添ってくれた。82番のバスに 乗って通いなれた?アメリカン・ホスピタルに向かう(留学中よく通った)。ヴァカンス時期ということもあって人手が足りないのか、普通の科は予約がいっぱいとのことで、救急の方に回された。順番を待つ人でごった返していた。 時間がかかりそうだったので、ベアがいてくれて助かった。私たちは順番がきたら呼んでください、と 病院内のカフェで、サロンでおしゃべりを楽しんだ。
何時間まったろうか。ようやく回ってきた順番。でも原因はわからないままだった。 とりあえず湿疹用に塗り薬2種と新たに抗生物質を与えられた。 重病人ではないのでベアとそのままモンパルナスに繰り出して、軽く夕食を取った。 今回の滞在ではベアとたくさん遊べて、楽しかった。心配なので9日の出発の朝も空港まで送ってくれると言う。 ほんと色々ありがとうね。ベア。
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le 8 août 2000. パリから最終便
明日の朝は早いのでそろそろこのマシンも出発準備でしまうことにします。今は夜の8時。 キャロの帰りを待っているところ。一緒に御飯を食べる約束をしたので、今夜は 軽くスパを用意します。デザート用にリンゴパイもさっき作りました。 日本には10日の朝8時半頃JAL(機体はエールフランス)でつきます。 じゃあ
・・・って書いたところで、キャロが戻り、夕食を食べ、お喋りをして、後片付けをして、 突然の雷雨があって、・・・キャロは「帰りの荷物、まだ隙間があるかしら?」と、言いながら プラハの美しい写真集をプレゼントしてくれた。プラハへの旅は本当に素晴らしいプレゼントでした。 4月にお別れしたときはまたすぐに会えると思っていたから、それほど淋しくなかったけど、 今度はいつになるだろう・・・来年の夏、また来るぞ。論文書き終えてなくても 絶対来るから・・・。
パリと私の友人たちへ。
たくさんの荷物と思い出を抱えて明日日本に帰ります。また会う日まで・・・                  

 ・・・fin

 

 CDG空港Fターミナル
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