巴里を追いかけて
何故、巴里なのか? そんなことをこの六年間、数えきれないほど訊ねられてきた。もちろん具体的な例を挙げて、説明することは
できる。それはアール・ヌーヴォー様式の建 築物やオスマン時代の都市計画が作り出す美しい街並み。その中に身を置く贅沢は、それだけで私を至福に導いてくれる。そして巴里
風の考え方やしきたりの数々・・・。それは 知れば知るほどに私を満足させる。が、しかし本当はこんな言葉だけでは、何も伝えることができない。何故、巴里なのか?は。
二十歳の冬、ヨーロッパの多くの街を旅し た。当時、大学で建築を勉強していた私にと ってこの旅は、カタログからは決して得られ ない感動を知るうえでも貴重な経験となったのは勿論であるが、それよりも言葉のわから
ないこれらの異国に飛び込んだとき、私は長年探し求めてきた「自分の在るべき場所」に 辿り着けるのではないか、そんな期待感に胸を膨らませていたのだった。そして巴里・・
・。旅も終盤にさしかかった頃、到着したこの大都市に、私は妙な懐かしささえ覚えたのである。それは「自分の存在を許される場所へ戻った」というものではなく、ずっと以前から「私はここでこうしていた」という錯覚を引き起こすような懐かしさであった。
あれから六年が経過し、巴里への旅を繰り返すたびに思う。私は、騒音に頭を抱え、空気の汚れに眉をひそめ、人込みに酔いながらも、ここに生きたい、と。
おそらく巴里は、様々に異種の人や文化を うまく混合することに成功した唯一の大都市 であろう。ロマンチシズムを売り物にしなが ら、実はひどく合理的な思想。伝統を大切にしながらも、新陳代謝を活発に繰り返し、旧式の概念に基づいてエリートを育てる一方、
行き場のないボヘミアンにもやさしい街。こうした矛盾さえも文化的な力に変換してしまうのが、この街の魅力であり、強さであり、 度量の大きさの証なのだと思う。
巴里は、そう・・・、パズルかもしれない。奇妙な形のピースである私が入りこむスキマを持つ巨大なパズル・・・。
だから私はもう、旅行者の肩書きを捨てようと思う。旅行者ではなく、只の外国人になる。私を理解する必要のない街、理解しよう としない街。私には政治に関わる権利も、税金を支払う義務もない。それで、いい。ただ新鮮な食材を求め朝市を歩く喜び、カフェや
公園に居場所を確保し、日中を無為に過ごす贅沢、見知らぬ人と語り合うゆとり。私にとって巴里は、そんな当たり前の人生を楽しむ心を取り戻すことのできる、心のリゾートな
のだ。
十六、七の頃、初めてフランス語として認識した言葉、raison d'être・・・。今から 思えば、巴里とのつながりはこの頃から始まっていたのかもしれない。そしてフランス語
を学び始めてから知った art de vivre という言葉。このふたつの言葉は私の人生のキーワードであり、これらを深く探るために、自分らしく生きていくために、私は巴里を追い続けるのです。