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2001
■le 3 janvier 2002
あけましておめでとうございます。新しい年の幕開けです!昨年は何かとつらいニュースの多い1年でしたが、今年は少しずつでもみんなが元気と笑顔を取り戻せる1年になるといいですよね。
私個人としては、今年は2年ぶりのパリ行きが今年の大イベントでしょうか。とりあえずは3月、そして夏〜秋。これはかなり嬉しい!!!一度に長く滞在できるのは、今後そうない事だろうから、その気持ちを胸に大地を踏みしめて来たいと思います。新しいカメラと一緒にね!
年末年始、けっこう自宅でほえ〜〜〜っとさせていただきやした。気持ちを新たに明日は初仕事でやんす。
それでは皆様、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
■le 14
janvier 2002
今日は成人式。昨年は新成人の式に臨む態度が話題になっていた。セレモニー嫌いの私はもちろん自分の成人式には出席しなかったし、今でもそんなものは税金の無駄使いだからやめた方がいいと思っている。日本人は本当に「目に見えるもの」と「集団で行動すること、またはそれを強いること」が好きだなあ、と思う。本当に大切なものは目には見えないと思うんだけどな・・・。
なんで日本の世の中がこんなにきゅうきゅうしていて、解決していない問題や借金は山積み、自殺をする人や会社の倒産が後を絶たないのに、外国の支援ばかりしないといけないのか?もちろん私にだってアフガンの悲惨な状況は充分に理解できる。でも全支援の2割もの金額をどうして日本が負担しないといけないのか。日本は経済的に三流国家のらく印をとうに押されているではないか・・・。もちろん国際援助というものが人道的な意味においても、国際社会の中で生きていくためにも不可欠なことはわかっている。正直なところ、できる限りのことをしてあげてほしいとも思う。でも某大臣はある会見で「何もかも国家に頼らず、自立を・・・」とのたまった。自国民にこんなことを言い放つのであれば、援助を求める諸外国に「日本を当てにせず、少しは自立の道を探ってください・・・」などと言えるのであろうか?きっと答えはNOだ。問題は先送り、八方美人なだけで誰からも信頼を得ることが出来ないこの母国には毎日苛立ちを感じずにはいられない。
トヨタ・イプサムのCMで「夫婦が愛し合ってこそ、家族が愛し合えるのです・・・」というようなことを言っている。そうそう、って私も思うわけだ。国家の幸せは国民の幸せから、国家の安定は国民の満足から・・・ではないのだろうか?色々な点においてガタガタになってしまった日本は、よそ様に手を差し伸べている場合ではないのだ。早く真の意味での国際援助をできるレベルになるためにも、まずは私たち一人一人が幸せにならないと・・・と思う今日この頃である。
■le 27
janvier 2002
年末年始感がどうもわかないまま新しい年を迎え、もう1月も終わろうとしている。最近は3月のパリ行きを前に、色々とフランスとのやり取りに時間をとられていた。もちろんパリ行きやパリでの調査に必要なことですが、一番今やらなければならない本読みがまったく予定通りに進まず、イライラ、イライラ・・・。こういうイライラがつのる日々にはぜひぜひクローン・ミカが欲しいな、と思ったりする。
別にイライラしているから・・・ってわけではないのでしょうが、最近右わき腹が痛むので病院に行ったところ「結石があるかもしれぬ・・・」と言われました。痛む右側にははっきり確認されなかったのですが、痛まない左側にはくっきり!石ねえ・・・。あるから痛いというものでもないらしく、きっと大勢の人が知らないうちに持っていたりするんだろうなあ。
3月のパリ行きを前に今の仕事をやめることにしました。本当は8月の出発までは続けたかったのですが・・・、このままでは論文の終わりが見えません。またまた超貧乏暮らしに突入です・・・。
■le 12
février 2002
夜10時までの仕事に行くようになってからというもの、もともと夜型だった私の生活はさらに夜型の度合いを増し、最近では朝、鳥の声を聞いてから眠りにつくことが多い。学生の頃は何日も徹夜をして、課題を仕上げるなんてことも珍しくなかったけれど、加齢とともにそんな無理はきかなくなり、時間帯はずれていても毎日しっかり6〜7時間は寝てしまっている。ただどうしても朝早く起きなければならない日、私の体は悲鳴をあげるのだ。今朝なんてまさにそう!どうしてもはずせない約束が朝の9時にあったので、ひっさしぶりに朝の7時に起きた。いつもの悪習慣のせいで夕べは、というか今朝は5時過ぎまで眠れず、2時間程しか眠れなかった。こんな日は一日ひどい体調である。旅をするときなどもそう。どうしても無理な(?)早起きをしなければならないので、初日は絶不調。このままいくと今度の早起きの日はパリに行く日。今日のようなヨレヨレにならないように、今日からちょっとずつ早寝を心がけたい。今夜こそはこの睡眠不足を利用して、早く眠るぞーっと !!!
ところで、フランス行きまであと3週間だってのに、今回はまだ泊まる場所を決めかねている!あー、頭イタ。
■le 20
février 2002
ようやく、ようやく決心がついて3月のパリのお宿を予約した。今回は論文のための滞在でけっこう大変になりそうだったので、友達んちの居候はやめておきたかった。最初予定していた15区の安いウィークリーマンションは、受付のおばさんがすごく意地悪だったのと、3週間まとめて予約が取れなかったので見送って、いつも親切、迅速に対応してくれるモンマルトルのウィークリーマンションに決定。ちょっとだけ予算オーバーだけど仕方ない。一時期とても憧れていたモンマルトルだったので、それもいいかな・・・って思う。ここも以前は安かったのだけど、やっぱりどこもかしこもユーロ便乗値上げ!仕方ないね。
宿が決まってほっとしたので、教授に滞在日程をメールで報告したところ、論文の計画書の提出を要求された。がーん。まあ、次から次へと、本読みの時間を割かれること・・・。ってことで、3晩もかかってさっき送信したところ。どんな返事が来るのか、とても憂鬱・・・。
仕事に行くのは8日を残すのみ。その後はパリ、その後はいよいよ家に引きこもり、エンジン全開で論文に取り組まなければならない。ちょっと武者ぶるい?
■le 1 mars 2002
先日、映画 『化粧師(けわいし)』を見た。劇場で予告編を見てから絶対に見たいと思った直感通りにとても満足のいく作品で、久しぶりの充足感。石ノ森章太郎の「化粧師」が原作だけあってか(?)、時々漫画チックな表現が気になったものの(でも、これって最近思うに日本人の特性なのかも・・・)、近代好きな私の嗜好を視覚的に満たしてくれるだけでなく、多くを語らない、目と心で会話をするこの化粧師の存在感、洞察力、説得力、そしてそのプロ意識にはただ圧倒された。またそれを演じた椎名桔平も比較的遅咲きの役者だと思うけれど、いつの間にかこんなにいい役者になっていたんだな・・・と感慨。私もけっこうな年齢に達し、まだ何者にもなれていないことを憂鬱に思う日々が続いているけれど、やはりこれから何年かかっても、いくつになっても、何かのプロになりたいと思う。もちろんそれがフランスに関わることなら理想的なんだけど・・・。
さ、今日から3月。明日で仕事おさめ。パリ行きはもうすぐ。春ももうすぐ。
■le 12 avril
2002
フランスから戻った翌日には人生に何度目かの家族旅行なるものに行ってきた。場所は父が以前から行ってみたかったという箱根。宿は迷った挙句に強羅花壇に父が決めてきた。出発前から久しぶりに姪に会うことと、その評判の高級旅館に泊まれることがとても楽しみであった。
私は日本国内ではあまり旅行をしないし、しても旅館に泊まるのはとても稀であまり他との比較できないのだが、ベンツでのお出迎えや教育の行き届いた従業員のスマートなサービスがとても西洋的な反面、やはり仲居さんがいて、お料理を運んでくれたり、お布団を引いてくれたり、お部屋は純和風、廊下を歩く人はみな浴衣と草履・・・となんとなく不思議な感じがした。それはおそらく「和」と「現代」が溶け合っているこの空間が生み出すニュアンスのせいでもあり、この作品は内外でも評判らしく、海外から視察に来られる方も多いと聞いた。それからこれは行ってから分かったことだが、このお宿は私がその質の高さを疑わないRelais&Chateauxに加入している。
そして旅のあと、我が家に私が欲しくて欲しくてたまらなかったエスプレッソ・マシン(Nespresso)がやってきた。これは叔母から父への贈り物であって私がもらったわけではないのだが、予想された通り私が一番喜んで使い込んでいる。私にとってコーヒーは飲むことよりも、いれることの方が幸せ。毎日毎日、この芳しい幸せの香りを楽しみながら、新しい春の到来を庭のある満開の花水木に感じている今日この頃・・・。
■le 24
avril 2002
今さら何を・・・と言われるかも知れないが、最近フランスの古文書を見ていて分かったことがある。以前から頭をひねっていた「7bre」「9bre」の文字、きっと「−bre」と書く月のことだろうとは想像していたが、最近ようやく確信を持てたのでなんとなく一人でニンマリしていたりする。
フランスに行ったことがある人なら、きっと見たことがあるだろう「K7」という表記。そう「K」はフランス語では「ケイ」ではなく「カ」と発音、それに数字の「7」は「セット」と読むからして、これは「カセット」という言葉を意味する表記なんですね。これはまだまだフランスでは需要のある音楽カセットを扱っているお店でよく見かけるし、映画のビデオ・カセットにも使われている。そして「7bre」「9bre」もこれと同じような意味なのだと、私はようやく理解したのです!!!
「7bre」は「7(セット)」+「bre(ブル)」=「septembre(セプトンブル)」「9bre」は「9(ヌフ)」+「bre(ブル)」=「novembre(ノヴォンブル)」
わずか数個のアルファベットを省略したいために考えたれたアイデアなんでしょうが、7が9月で、9が11月なんて、ちょっとややこしいぞ!だけど100年前の芸術的な手書きの古文書の中にあっては、とてもお茶目な感じがします。
■le 6 mai 2002
第1回投票で極右政党フロン・ナショナルのル・ペン候補の躍進という思わぬ結果をもたらし、フランス中を混乱させたフランス大統領選挙であったが、昨日現職のシラク大統領が無事再選を果たした。
今回の大統領選挙でも注目されたように、このところヨーロッパを中心にナショナリズムの台頭が危惧されている。もちろんこんな政治的、国家的ナショナリズムは要らないが、自国への誇りや愛国心はあったほうがいいと、最近思う機会が多い。
奈良にある国指定重要文化財「藤岡家住宅」を訪れた。これは江戸期に建てられた一般的な商家(豪商だったそうだが)であり、数年前に修復工事を終え、現在は一般に公開されている。この家屋にこめられた知恵の数々、一つ一つのものに込められた意味にはまったく驚嘆させられる。文明開化前の日本が純粋に日本であったころの精神を伺い知ることの出来る有意義な経験である。ところで、この家屋の修復にかかった費用はすべて藤岡家が負担をしたそうだ。昭和43年に重要文化財に指定をされたものの国をはじめ行政からの援助というものは一切ないらしい。
私がヨーロッパの国を愛する理由は様々だが、自国文化に対する誇り、国をあげての文化遺産への理解、保存、再生への試みの精神はその最も大きなものだ。もちろん日本は私の母国であり、その原風景、美意識、そしてそこから生まれてくる様式、空間、繊細な工芸品などは大好きである。それでもたやすく自国の文化を切り捨て、西洋文化を手放しに受け入れていく自尊心のない母国の今の精神を私は愛することが出来ない。
このところ、民家や町屋の再生に注目が集まって以来、それらを利用した素敵なカフェやショップがたくさん出来ている。ともかく最近では衣食住すべてにおいて「和」のテイストが幅広い層の間で支持されていると言う。
ブーム好きな日本人にとって、この現象が単なる表面的、一時的ブームに終わらなければいいのだか・・・。
■le 22 mai
2002
しばらく書いてないうちに世の中はすっかりイベントの嵐。夏のヴァカンスを前にヨーロッパも一番楽しい季節を迎えつつある。日本はもっぱらワールドカップのニュースでもちきりだが、フランスは今、カンヌ映画祭の真っ最中。イタリアでは自転車の有名レース、ツール・ド・イタリー(GIRO)が開催中。来週からフランスでは全仏オープン(Roland Garros)。残念ながら毎年物議をかもすヒンギスは欠場らしいが、やっぱり楽しみ。とにかく見入ってしまうんですよね、深夜の生中継。6月は横浜で第10回目を迎えるフランス映画祭横浜があり、今年は10周年という記念すべき年なので、例年にもましてすごいゲストが顔を揃えるらしい(私は今年、どうやっても行けそうにもない・・・うーん、来年はまた行くぞ〜)。7月になればいよいよツール・ド・フランス !!! 私のごひいきジャッキーはあと何年走れるか分からないし、1年1年大切に見守っていきたい。もう一人ひいきの選手ウルリッヒは残念ながらひざの故障で出場を見送ったらしいけど、彼はまだ若いからじっくりと治してもらうとして・・・。ただ今年は論文の締切を抱え、どれもゆっくりと楽しむ余裕がないのが残念でならないです・・・。まあ、しかたないですよね。あと、数ヶ月の辛抱ですから・・・。
■le 13 juin
2002
日本全国ワールドカップで盛り上がりを見せているこの頃。私も例にもれずテレビの前で絶叫観戦の日々である。もちろん応援しているのは日本と!フランスだった…。フランスの3戦目はテレビ中継も(地上波では)なく、インターネットで文字を追いかけていたのだが、なんとも信じがたい無得点敗退。対して日本チームは元気じゃあないか !!! 明日のチュニジア戦も勉強の手を休めて、90分応援しまくらなくちゃ !!! 4年前のフランス大会で初めて、楽しみ方を認識したこのワールドカップであるが、実は中学校のころ、熱狂的な高校サッカーファンだったという歴史が私にはあったりする・・・。
ところで世間でメル友 (…メル友っていうのはメールによるコミュニケーションだけでつながっている関係をさしていると私は認識しているのだけど、それでいいのかしら?)
という言葉が使われて久しいけど、最近このHPを通じて知り合ったCちゃんは私の唯一のメル友であった。Cちゃんは私のHPの熱心なリピーターで(感謝!)、南仏のマノスクという街に語学留学中の若い女の子。その彼女が日本へ一時帰国していて、昨日会いに来てくれたのだ。文章同様、とても感じのいい、Cちゃん。初めて出会ったとは思えないほど、なんだかすでに気心は知れていて、色々な話をしてあっという間に時間は過ぎていった。実は彼女、今度の新学期からパリに出て、私の後輩になることが決まっている。メル友だった彼女とは、これからは同じ経験を持つ友人として、仲良くなれるといいなあ・・・と期待している。9月にパリでの再会、楽しみにしてるね!
そう、今度のパリ滞在、大いにもめた(予約していた)寮とは結局決裂してしまい別のところを探していたが、なんとか落ち着き先が決まりつつある。7区のアルマ橋の近くのステュディオで、プリュメの後期作品のある通り。近くにはラヴィロットの作品もたくさんある。別にそれが決め手となったわけではないけれど、なんとなく嬉しい!何よりもバス交通の便がいい場所で、パリではバス移動が大好きな私としては、それがけっこう気に入っている。
■le 18
juin 2002
あぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、負けてしまいましたね、トルシエ・ジャパン。本当に残念!としか言いようがないけれど、とにかくなんという喪失感でしょうか。私としてはもう完全にベスト8進出のシナリオを思い描いていたので、このやり場のない残念さを(悔しさってわけではないのだけど)どうやって消化すればいいのかわからないで、途方に暮れているところです。
予選の3試合ほど、見ごたえのある試合ではなかったけれど、決して劣勢ではなかっただけに、本当に残念。あと10分でもいいから時間が残っていたら・・・とも思うけれど・・・。そうね、時間には限りがある。実力があるとかないとか、ツキがあるとかないとか、色々あるんだろうけれど、決められた時間内に結果を出せなければ勝負には負けるということ。いつもそれを思い知らされながら、どうしてこうダラダラしてしまうのかしら・・・。ってのは私の論文の話。私はいつも自分を追いつめないと、大きな山を(ここでは論文)越えられない。なんともずいぶん自虐的な方法だとも思うけれど・・・。私も、もう後がない。
ところでトルシエ監督が試合直後のインタビューに答えている姿には、私まで涙が出そうになった。このワールドカップ後に日本チーム監督を退任することが決まっているそうだが、彼はその場で感極まっていた。選手の胸倉をつかんで叱咤したり・・・と色々と物議をかもしてきたフランス人監督の存在は、4年たった今となっては日本人に何か素敵なものを残してくれた。彼の胸にはどんな気持ちが去来していたのであろうか。言葉につまったあと、みなに感謝の言葉を残して、彼は去っていった・・・。
自己を貫くこと・・・というのは、時には自分を厳しい状況に追い込むこともあるけれど、やっぱり信じた目標にたどりつくまでは、逆境にひるむことなく進んで行くしかないよね!
■le 07 juillet 2002
いつの間にか7月になっていて、私はなぜか夏風邪に苦しんでいる。もう1週間になる。初めは強い喉の痛み、そして少し鼻づまり、今は少し咳、症状はこのように変化しているが、嫌なのはずーっと微熱があること。3月にパリで風邪を引きそうになったけれど悪化はのがれて、それ以来けっこう元気にやってきていた。それなのに7月になって、論文をいよいよ書き始めると、これである!それに明日8日−12日は私にとっては大切な仕事(フランス語での初仕事!)が入っていて、5日はその打ち合わせに、熱でぼーっとしている体をひきずって出かけて行った。少しは休もうと昼間横になると夜寝られず、それに書き始めた論文が楽しくて楽しくて(楽しいだけで、どんどん脱線して、ページは進まないのだが・・・)熱があるのも、時間がたつのもどんどん忘れて没頭してしまう。夕べも「かの」ツール・ド・フランスの放送があることさえ、忘れて論文に没頭していた。まあ、昨日は初日でタイム・トライアルだったから、今日から気を取り直してビデオにとるぞ!それにしても日本のテレビで見られるなんて、嬉しい限りだわ!(昔はNHKでやってたと思うんだけどな・・・)でも欲を言えば、F2の放送をインターネットで配信して欲しい。だって、日本の解説ってぜんぜんおもしろくないし、選手のインタビューが少ないんだもの。フランスではエタップの放送以外にもマシンとか、スタッフとか、ツールで通る街のお話etc.周辺情報番組が充実していて、それがまたツールの楽しみを倍増させてくれるんですよね!!!
しつこいようですが、ツールのサイトです。
私の愛用するFrance2の特設HP http://letour.francetv.fr/
一度のぞいてみてくださいね。
早く熱が下がってくれることを願いつつ、いまからまた論文に戻ります。
■le 13
juillet 2002
結局、風邪は治らないまま1週間の仕事が昨日終わってしまった。これは某団体の世界大会が大阪であり、フランス人参加者が宿泊するホテルでインフォメーション・デスクを担当するという仕事。私にとっては、久しぶりの外での仕事、それにフランスの団体から報酬を受ける初めての仕事だったのでかなり緊張していたのだが、始まってみるとやはり案ずるより産むが安し?で、かなり暇であった。暇ではあったが学ぶことの多い1週間でもあった。
大阪・京都・奈良・神戸・・・と関西は、私にとれば当たり前の場所ではあるが、外人さんの目から見て興味のあること、知りたいことは決して日本人とは同じではない。だからこの仕事の準備のためにいくつかガイドブックを買っておいたが、それらは殆ど役に立たなかった。
歌舞伎はどこで見られるの?
(いかにもお土産の)OSAKAと描かれたTシャツはどこで買えるの?
日本庭園の見えるレストランは?
一番エレガントなショッピング街は?
そう改めて聞かれると、すぐには自信を持って答えられないものだ。私自身は歌舞伎を見たこともないし、歌舞伎と名がつくのだから「新歌舞伎座」で見られるのは?と漠然と思っていた。でも調べていると「松竹座」で行われているという。どういう知識や準備が必要か、やはり一度経験してみて分かることってたくさんある。
他のフランス人スタッフは色々なトラブルがあって、大変だったみたいだけど、私は自分の体調以外は問題なく、ややこしいお客さんにも当たらず、時間的にゆとりのある中で接客が出来たのは、次回へのいい経験であった。
気難しそうだけど実は優しいジョエル、ダイナミックでお茶目なマルティーヌ、日本語もペラペラでチャーミングなクロチルド、同じデスクで一緒になった二人のヨシコさん、会場で出会ったミホさんやマリさん、いい出会いもありました。
ツールは始まって1週間が経ち、3分の1が終了。まだ平地コースで山場(文字通りの山場!)はこれから!楽しみです。
■le 26
juillet 2002
「あ〜、しんど〜」っていうのが、今の状況。もとを正せば、もっと早くからかき始めなかった私が悪いのですが・・・。7月も終わりが見えてきて、論文はようやく25枚が終わったところ。修士論文は最低ノルマが80枚と言われていて、私は一応100枚を目指していた。でも今は90枚でもいいかな・・・なんてちょっと弱気です。9月にはパリ行きの準備も始めたいので、1ヵ月後にはなんとかここで、論文完成のお知らせをしたいところなのですが、いったん治りかけた風邪も、また症状を変えて私を苦しめている。
数日前から咳き込んで、咳き込んで、頭も、胸も、喉も切れて痛いけれど、コンピューターの前から離れることはできません。そんな中、私は今、目の前にある大きな山頂ゴールを目指している感じです。そう、それはまるで先日の第14エタップ(Lodève 〜Mont Ventoux)のようです。
ツールは、こんな状況なので毎日録画だけをしていて(また後でゆっくり楽しむつもり!)、ゴール・シーンだけをライブで見るくらいなのですが、先日の第14エタップでは久しぶりのリシャール・ヴィランクのエタップ優勝の雄姿になんだかとても感動しました。
この日の全走行距離は221km、ゴール前は約21キロにわたって7.6%の傾斜が続く。その先にあるのは標高1912mのle Mont Ventouxの山頂ゴール。樹木もないような殺伐とした山で何かの塔が1つそびえたっているのが印象的なツールでの名物山です。ヴィランクは98年のドーピング疑惑以来(詳しくは98年7月の日記を読んでね!)、不遇な競技生活を強いられていたのですが、その彼が97年に山を制した時とまったく同じように、ひとさし指を高くかかげ、それにキスをしながら、ゴールしてきたのだ。でも私を感動させたのは、何よりもゴール直前の彼の笑顔。そこには単にエタップを制した喜びだけではなく、ここ数年間の彼の思いのすべてが現れていたように思うのです。
そんなヴィランクの思いは今の私の思いに似ている・・・と言うのはおこがましいでしょうか?もはや走っている過程は喜びでも何でもないです。でも上りにさしかかって、どんなに苦しくてもやめたくない。ただそこにたどり着かなければならないのです。もちろん棄権していく選手もいます。でもどんなにヨレヨレになってもそこにたどり着きたい。ここ数年の不遇の時を見返すためにも・・・。
■le 18 août
2002
ここ数年、小説なんてゆっくり読んだことがなかったが久しぶりに衝動にかられたので早速読んでみた。今、テレビのドラマ化で話題になっている石原慎太郎の「太陽の季節」である。テレビドラマの出来には色々と批判もでているようだが原作とは少々表現が違うらしい。いずれにしても興味の出発点は石原慎太郎の若いころの人物像であり、彼が23歳の頃に書いたその評価された文とはどんなものなのか・・・、ということ。作品は文庫の中の短編なのですぐに読み終えたが、読後感は村上龍の「限りなく透明に近いブルー」の時のように決していいものではなかった。このふたつの作品の共通点は倫理性を問われる過激なテーマで芥川賞を受賞し、文壇に衝撃を与えた若い作家の作品であると言うこと。作品には心を動かされるものが何もなく私としては少々失望したし、何がこれらの作品を最高の文学賞とまで言われる芥川賞の受賞へと導いたのか、審査員らの感性も理解できない。でも今の世の中、二十歳そこそこの青年にこんな文章が書けるのであろうか?考えることをやめてしまったような若者が多い中、歪んだ愛の本質を簡潔に描ききっている力量には敬服する。
かつて小説ばかりを夢中になって読んでいた私は、自らも小説を書く生活を夢見ていたことがある。今となっては、自分に書き続ける力のないことも、書いたものを認められる才能もないことはわかっているけれど、人生の中でもう一つくらいは小説を書いてみたい・・・とは今も思っている。
■le 19 novembre 2002
帰国から10日が経過した。忙しかったパリでの生活から一変して、今はとりあえず隠居老人のような日々。しばらくは身辺整理をしながら、ボ〜っと考え事をすることにした。フランスから送った小包も全部届き、私の大好きだった青いお茶碗 (旅先で買い求めたもの) が割れていたのはちょっとショックだったけれど、そんなことでも旅の終わりをしみじみと感じていたりする今日この頃。ただ日本もずいぶん寒くはなったけれど、フランスと違って天気がいいので救われている。とにかく今回の帰国はフランスと私の関係性に大きな変化をもたらすことは間違いなさそう・・・。
次の目標はたいだい決まっているのでまだまだこれからも勉強することは山ほどあるのだが、これからの勉強はあくまでも余暇。日本での新しい生活のためにもこれからは仕事のことを一番真面目に考えないといけないのだ!まだ具体的に表明できるようなことは何もないけれど、近い将来フリーランスでやっていけるように頑張りたいと思っている。そのためにも理想の仕事場兼住居をゲットするのが春までの目標!かな???
■le 24 décembre 2002
ずいぶんご無沙汰していました!今日はクリスマス・・・もう年末なんですよね〜。11月の帰国後、ひとしきりボ〜っとし終えた私はここ最近、起業準備と家探しに夢中で時が経つのさえ忘れてしまっていました。フランスの友人にクリスマス・カードを送るのも、日本の友人に年賀状を準備するのさえすっかり忘れていました。みなさん、今年は何も届かないと思いますが許して〜。
ところで以前私は、数は少なくともいい友人に恵まれている・・・とつくづく思ったものでした。もちろん今もその友人たちは私の親友であることには違いありません。でも年齢を重ねるごとに、みなそれぞれにそれぞれの場所で人生を切り開き、彼らの出来事が私の手の届かないものになっていくのだ・・・と一抹の淋しさを感じていた今日この頃でした。当たり前なのですがいつまでも昔のままではいられないのだ・・・と改めて感じたのです。私が変化しているように、彼らも変化している。出産を控えている人、結婚をした人、仕事に打ち込む人、新しい世界へ旅立つ人、遠くに住む人・・・みなそれぞれですが、私自身も友人たちに負けないように私の人生をしっかりと歩いていきたい。変わらないこと・・・を信じていた時代は私の中で終わろうとしているのかもしれません。ただそれは“あきらめ”ではなくて、たぶん“再生”への期待・・・だと思っています。
おそらく今年最後の更新・・・、1月中には新しい仕事用HPの公開を目指して準備を進めて行きますので、応援してくださいね。
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